東京の公園とゲイ文化の歴史

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ゲイの出会いの場といえば、新宿二丁目やマッチングアプリを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかしその以前から、東京の公園は「ゲイの出会いの場=ハッテン場」として独自の役割を果たしてきました。
なぜ公園がそうした場になったのか――そこには匿名性・広さ・アクセスの良さといった条件が揃っていたのです。


上野公園 ― 戦後の象徴的存在

上野公園は戦後の混乱期からゲイの出会いの場としてもっとも有名なスポットでした。
上野駅が東北からの玄関口であったこと、広い敷地と夜の暗がり、匿名性の高さが重なり、自然に人が集まるようになりました。

さらに一時期は売春の拠点でもあり、匿名性や人目を避けやすい環境がそのままゲイ文化の出会いにもつながっていきました。

良平のコメント:戦後の上野公園が「売春の拠点」でもあったと知ったときは驚きました。出会いの文化と社会の影が交錯しているからこそ、象徴的な公園になったのだと思います。


代々木公園 ― 若者文化と隣り合わせ

1971年に開園した代々木公園は、渋谷や新宿二丁目に近く、若者文化の発信地でもありました。
音楽やパフォーマンス、ヒッピー文化が集まる自由な雰囲気の中で、夜間にはゲイの出会いの場としても知られるようになりました。
「都市の若者文化」と「ゲイ文化」が交差する象徴的な場所といえます。

良平のコメント:渋谷や新宿に近いことが、やはり大きな要因だったんでしょうね。自由な雰囲気が自然に出会いの文化と重なったのだと思います。


新宿中央公園 ― 二丁目の補完的存在

新宿駅西口のすぐそばにある新宿中央公園は、高層ビル群に隣接しながら夜は人通りが少なく、匿名性を確保できる場所でした。
1980〜90年代には「新宿エリアのもう一つのハッテン場」としてよく知られ、二丁目に行く前や帰りに立ち寄る人もいました。


日比谷公園 ― 都心の中の隠れ場

官庁街やビジネス街に隣接する日比谷公園も、戦後から昭和にかけてゲイの出会いの場として機能してきました。
サラリーマンや出張客が立ち寄れる立地、昼と夜で表情が変わる環境が利用された理由でした。
「都会の中心にある匿名性」という独自のバランスを持っていた公園です。


戸山公園 ― 新宿の裏の顔

早稲田・高田馬場エリアに位置する戸山公園は、学生やサラリーマンが集まりやすい立地にありました。
新宿二丁目からも近く、夜間は人目が少なくなるため、出会いの場として利用されました。
規模は上野や代々木に比べると小さいですが、「新宿の裏のハッテン場」として知られていました。


郊外型の公園 ― 砧・舎人・光が丘

都心から少し離れた大規模公園も、匿名性の高さからハッテン場として利用されました。

  • 砧公園(世田谷区) … 住宅地の中にある広大な敷地。夜間の暗がりが匿名性を強めました。
  • 舎人公園(足立区) … 広大な自然があり、車で訪れる層も利用。郊外型の代表的な場でした。
  • 光が丘公園(練馬区) … 1980年代に整備された大規模公園で、夜間の匿名性から利用された例があります。

ベイエリア型の公園 ― 新木場・夢の島

海沿いの公園もまた、匿名性の高さからハッテン場として知られてきました。

  • 新木場公園 … 夜の海辺という特殊な環境があり、80〜90年代に名が知られるようになりました。
  • 夢の島公園 … 埋立地に作られた広大な敷地が「秘密の場」として利用されました。

地域密着型の公園 ― 善福寺・蚕糸の森

規模は大きくなくても、地域のゲイに知られる「隠れ場」としての公園も存在しました。

  • 善福寺公園(杉並区) … 住宅街の中にある緑地で、夜間は暗がりが多く利用された例。
  • 蚕糸の森公園(杉並区) … 東高円寺駅すぐの立地で、1980〜90年代に地域や沿線の人々が訪れました。

良平のコメント:地域ごとの小さな公園にまで歴史があるのは意外でした。都会だけじゃなく、地元の場としても文化が広がっていたんですね。


東京の公園とゲイ文化の意味

こうして見てみると、東京の公園はそれぞれ異なる形でゲイ文化と関わってきました。

  • 上野公園 … 戦後の象徴
  • 代々木公園 … 若者文化との交差点
  • 新宿中央・戸山 … 二丁目と隣接した補完拠点
  • 日比谷公園 … ビジネス街の匿名性
  • 郊外・ベイエリア … 砧、舎人、光が丘、新木場、夢の島
  • 地域型 … 善福寺、蚕糸の森

共通しているのは、「相手が同性愛者かどうかを確認せずに出会える安心感」です。
社会的な理解が少なかった時代、公園は切実な出会いの場として機能していました。

良平のコメント:ただの公共空間に「生きづらさを抱える人たちの出会いの文化」が重なっていたと知ると、景色の見え方が変わりますね。


まとめ

東京の公園は、憩いの場であると同時に、ゲイが出会いを求める切実な場でもありました。
戦後の混乱から現代まで、それぞれの時代背景とともに文化を育んできたのです。

現在はアプリやバーなど出会いの選択肢が増え、公園の役割は小さくなりました。
それでも過去にこうした歴史があったことを知ることは、ゲイ文化を理解するうえで重要だといえるでしょう。

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Ryohei Asada
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ブログ編集者
東京在住の中年ゲイブロガー 当サイト 「ニジイロ東京Days」 note.com 「僕らのノート ニジイロ東京Days」 🏳️‍🌈 出会い・恋愛・仲間づくりに悩んできたゲイのリアル 🌱 「ひとりじゃない」+「小さなヒント」発信中 🎬 銭湯とドラマ映画が好き
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