仲通りに息づくキラキラ ― 二丁目という街の進化

再開発の波に揺れる東京で、まだ雑多な熱を残す街・二丁目。
仲通りを歩く若者の笑顔に、そして有名人さえ訪れる華やかな夜に、僕は「街の進化」を感じました。
目次
青春の記憶としての二丁目
若い頃の僕にとって二丁目は、週末に終電を逃して朝まで過ごす街でした。華やかで、混沌としていて、そこには「青春の匂い」が漂っていた。仲間と語り合い、笑い合い、時には出会いと別れを繰り返す──そんな時間を、二丁目で過ごしてきました。
時代の流れと二丁目の変化
やがて平成の経済低迷や、ネットでの出会いの普及もあって、街の人出が減ったといわれる時期もありました。「若者があまりお酒を飲まなくなった」「お金を使う余裕がない」──そんな声も聞こえてきたものです。
けれど今の二丁目を歩いてみると、状況は大きく変わっています。ゲイだけでなく、女性や外国人、観光客、レズビアンや女装の人、さらには芸能人やスポーツ選手まで。二丁目は“多様性の街”として再び活気を取り戻しているのです。
再開発に飲まれない街
東京のあちこちが再開発で姿を変えていく中、二丁目はまだ大きな資本に飲み込まれていません。狭い雑居ビルに小さなバーが立ち並び、人の熱が路地にあふれている。その雑多さこそが、街の文化を守ってきました。
仲通りという象徴
二丁目の中でも、仲通りはまさに“街の顔”。オープンなバーで待ち合わせをする人、仲間同士で談笑するグループ、目的地へ早足で通り過ぎる人、イベント帰りで派手な衣装をまとった人、深夜のタクシーに並ぶ人、酔っぱらって座り込む人……。
仲通りには、同時に無数の人間模様が流れ込んでいます。それはまるで「パンドラの箱」のよう。混沌とした光景が、なぜか不思議な調和を生み出しているのです。
二丁目らしさとは
そんな仲通りで、僕が「二丁目らしい」と感じる瞬間があります。それは、解放されて笑顔で語り合う若者たちのキラキラした目を見たとき。
普段はどこかで抑えている気持ちを、ここでは自然に解き放てる。その輝きは、かつての自分の姿とも重なり合い、街が持つエネルギーが世代を超えて受け継がれていることを教えてくれます。
二丁目のマナー
二丁目では、有名人と出会うことも少なくありません。俳優、歌手、タレント、スポーツ選手──誰もが知るような人たちが、ふつうに隣でグラスを傾けている。そんな光景が日常的にあるのが二丁目です。
けれど、そこで大切なのが「サラッと受け流す」マナー。誰も騒がず、写真も撮らず、SNSにも書かない。ただ「一緒に飲んでいる一人」として扱う。それがこの街の暗黙のルールです。
だからこそ有名人も安心して遊びに来られるし、街全体に“肩書きや立場を超えた自由さ”が守られている。二丁目の夜が特別で華やかに感じるのは、この不思議な共存の空気があるからだと思います。
未来へ
僕にとって二丁目は懐かしさの場所でありながら、同時に「もっともっと楽しい街として続いてほしい」と願う場所でもあります。街はこれからも変わり続けるでしょう。けれど、そこに集まる人々の笑顔と解放感は、二丁目の根っこに流れ続けると信じています。
──なんて言いつつ、最近の僕は新橋や上野の落ち着いたバーで飲むことが多いんですけどね。
Written by 良平
- #新宿二丁目
- #仲通り
- #エッセイ
- #LGBTQ+
- #東京